ハンドメイドのバッグと洋服の店

プロフィール 1

2018/01/15
 
この記事を書いている人 - WRITER -
赤尾 祐子
お客様にとって、便利で癒されるようなバッグや小物を作っています。 もともとモノ作りが好きです。ミシン、料理、DIYを日々楽しんでいます。 自分が得意なことや好きなことで人の役に立ち喜んでもらえるのが嬉しいです。 モノを売るためにどうしたらいいか? マーケティング、コンサルティングの 勉強をして実践しています。

山梨県甲府市に生まれる。


2才のころのわたし。
七五三の5才の兄と母と、神社の前で父が撮影しました。

 

カトリック系の幼稚園に入る。
幼稚園には、教会もありました。
毎日、「お優しい神様、今日も一日ありがとうございます。」と、手を
合わせてお祈りをしていました。
この頃は、何か叶えたいことがあると、真剣にお祈りをしていました。
例えば、小学校のクラス変えのとき、「〇〇ちゃんと同じクラスになれ
ますように」と毎日寝る前に祈っていたら、本当に同じクラスになれ
ました。5クラスあったので、5分の1の確率です。

5才のときに、手術のため東京の病院に10日入院しました。
母も付き添って、2人での病院生活でした。
10日間の間に仲良くなった、となりのベットの男の子、わたしが
退院するとき、タクシーが見えなくなるまで、手を振って見送って
くれました。

ドラマのように、タクシーの後を走りながら、手を振ってくれた
ようです。

「ゆうこちゃん、バイバイ~」と何回も言いながら。

母がその時のことを思い出して、時々話すことがあって、
「あのときは、涙がでたよ」と懐かしそうに言います。

千葉の子でした。ようちゃん、元気にしているかなぁ。。

 


7才のわたしと家族

 

習い事は、あまりせず、公文の算数に小一から中一まで7年間、
通っていました。
父親の親しくしているテニス仲間の奥さんが、公文の先生をしている
ため、家の隣に公文教室があったのに、わざわざ自転車で20分も
かかる場所まで通っていました。

通っていた小学校とは、別の小学校の前を自転車をおもいっきり
こいで、3つ年上の兄の後をついて行ったものです。

ときには、近道だと言って中学校の敷地内を通り抜け、
中学校の裏門に自転車で激突し、ハンドルが胸に当たり、
しかも兄に置いていかれて、泣きながら帰ったことも
ありました。

今となっては懐かしい良い思い出です。

冬の寒い日は、行くのが嫌で、行きたくないと言いながら、渋々
通っていました。
公文のおかげで、頭の中でする簡単な足し算、分数、割り算など、
今でも役に立っています。

余談ですが、わたしが通っていた公文の先生は、80歳を超えた今も
教室をしています。見た目もとても若いです。
父の友人も、80歳を超えてテニスの試合に千葉へ行ったりするそう
です。

 

 

中学校では、吹奏楽部でクラリネットをしていました。
この頃から、音楽が好きになり、クラシック、ユーミン、オフコース
などのLPをレンタルショップで借りて聞いていました。
レコードの世代です。

友達が誕生日プレゼントに、オフコースのLPをくれて、
しょっちゅう聞いていました。

中学3年のとき、山梨県で ”かいじ国体” が開催されました。
吹奏楽部も式典のイベントで、山梨県内の中学の生徒や、
高校生たちと、合唱隊も一緒に、屋外での練習に明け暮れました。

高校、短大と、地元の学校へ行きました。
勉強は好きでなかったので、あまりしませんでした。
何かがしたい、とか、情熱を持っているものもありませんでした。
目的がなく、なんとなく過ごしていた学生時代でした。

この記事を書いている人 - WRITER -
赤尾 祐子
お客様にとって、便利で癒されるようなバッグや小物を作っています。 もともとモノ作りが好きです。ミシン、料理、DIYを日々楽しんでいます。 自分が得意なことや好きなことで人の役に立ち喜んでもらえるのが嬉しいです。 モノを売るためにどうしたらいいか? マーケティング、コンサルティングの 勉強をして実践しています。

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